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2/7放送

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冬ナクバ春ナキニ

かんずりという新潟特産の香辛料をごぞんじでしょうか。このかんずりは、作られる過程で原料の唐辛子を雪の中に埋める「雪さらし」という作業が行われます。こうすることによって、唐辛子のあくがぬけ、旨味が増すのだそうです。 ある種類の白菜や大根は、わざわざ雪の中に埋めて育てます。雪の中で寒さに耐える野菜たちは、その寒さから自分の身を守る為にたくさんの糖分を作り出し、とても甘く成長するそうです。
「冬ナクバ春ナキニ」とは民芸運動家であった柳宗悦の言葉です。厳しい寒さのなか、野菜が雪の下で甘み蓄えているのも、花がじっと蕾を固くしているのも、動物が冬眠するのも、春にその生を謳歌するためです。 人間も同じなのではないでしょうか。多くの苦しみが存在する日々のなか、困難に立ち向かい、耐える。つまり冬の時代を乗り越えることで、人は成長し、いっそう輝くのだと私は信じています。
最初から全てが満たされた春のような世界は、それはそれで理想の世界かもしれません。でもそのとき私たち自身は、本当に正しく満たされているのでしょうか。「冬ナクバ春ナキニ」。冬を経験していない春は、もしかしたらみせかけの春なのかもしれません。

2/14放送

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戒律の意味

先日、ある、若い方から「最近おこりっぽくて、何にでもすぐにイライラしちゃうんですが、どうすれば良いでしょう。」という相談を受けました。これに対して私は、そのことを自覚しているだけでも充分なのではないですかと答えました。
仏教には「戒律」といって「殺すべからず」とか「嘘をつくべからず」といった決まりがいくつかあります。その中に「怒るべからず」という項目もあるので、日々私も心がけているのですがなかなかうまくいきません。
でも、安心してください。実は仏教における戒とは「ルール」ではなく「習慣」を意味するので「してはいけない」ではなく「~していこう」と取るのが正解です。つまり、失敗をしてしまっても、次からは「無駄な殺生をしないようにしよう」。「嘘をつかないようにしよう」。「怒らないようにしよう」と前向きに捉えていけば良いのです。無益な殺生をした事がない人も、嘘をついた事がない人も、怒ったことがない人もこの世界には存在しません。日々失敗だらけの私たちは、その失敗を糧に前に進んで行けば良いのではないでしょうか。

2/21放送

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四十九日の効能

人は、亡くなってから49日という期間を経て完全な仏になるという信仰があります。なぜ49日かというと、死者は閻魔様を初めとする裁判官から、亡くなってから7日ごとに7回の審判を受けるからです。生前、故人がどんな生活をしてきたか。どのような善行を行い、また、どれくらいの悪行を重ねてきたのか。これらの審判で追及されます。
 とはいえ、例えば、嘘をついてしまった。必要以上に欲を出してしまった。理不尽に八つ当たりをしてしまった。などの小さな失敗を含めれば、一度も悪事を働いたことのない人間など一人もいません。ですから、この裁判は間違いを断じ、罰を与えるものではなく、その失敗が少しずつ許されていく、洗い流されていく為に行われるのだと私は考えています。
 遺された私たちにできることは、こちらの世界から裁判官に、「おじいちゃんは、間違いや失敗を何度もしてしまったかもしれない。でも、それ以上に優しく、強く、仕事に励み、家族を守る。そんな人だったんです」と故人の弁護をしてあげることです。
 大切な方が亡くなられたとき、7日ごとにどうか手を合わせて、その方の生前の素晴らしいところを仏さまにお伝えください。仏教には、そんな供養の仕方もあるのです。

2/28放送

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車いすの視点

私には、脳性マヒが原因で手足が不自由な友人がいます。先日、その友人の助けになればと、重度障害者訪問介護研修というものを受講してきました。
その研修のプラグラムには、食事介助や入浴介助などとともに、自らが車いすに乗って街中を移動するというものもあったのですが、初めての経験ということもあり、それはヒヤヒヤの連続でした。舗装の行き届いたきれいな道でありながら、たくさんのでこぼこや段差に苦労し、また車輪を通して感じる地面の傾斜は見た目以上にきつく、本来停めるべきではないところに停まっている自転車などは、正に行く手を阻む壁でした。
私たちが世界をありのままに見ていると感じているとしたら、それはおそらく慢心に過ぎません。それどころか、見えているはずの目の前の物事においてでさえ、私たちはかなりの部分を見落としています。
もし、自分の住む世界を変えたいと願うのならば、その第一歩は、自分がいかに何も見えていないかを知り、そのことに対して想いを馳せることにあるではないでしょうか。
あなたの視点は、今どこにありますか。

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